町指定文化財

【浪花講・真誠講の看板(有形民俗文化財)】●指定年月日/平成5年4月26日●所在地/七ケ宿町字上野8-1(水と歴史の館内):宿場の営みをしていた当時、米沢屋と称して宿屋を営んでいて、浪花講・真誠講に加入していた鈴木家にあった看板である。この看板は講に加入していることを旅人に知らせるために軒下に掲げられてあった。残念なことに当時を偲ばせる建物は昭和57年3月に解体されたが、看板は水と歴史の館に寄託され保管している。浪花講については、文化元年(1804)大坂の商人松屋甚四郎の提唱した旅館粛正運動で、旅行者に鑑札を渡し、諸街道の加入優良宿屋に宿泊する仕組みである。真誠講については、丸通の商標のある看板で、明治4年(1871)交通運輸事業が民間に切り替わり内国通運会社が設立され、貨物継立所の無い地域には、旅館を選び兼務させたものである。2枚の看板とも往時の七ケ宿街道を偲ばせる貴重な民俗文化財であり、特にこのように残っているものは県内でも他に例がない。

浪花講・真誠講の看板(有形民俗文化財)
●指定年月日/平成5年4月26日
●所在地/七ケ宿町字上野8-1(水と歴史の館内)

 宿場の営みをしていた当時、米沢屋と称して宿屋を営んでいて、浪花講・真誠講に加入していた鈴木家にあった看板である。この看板は講に加入していることを旅人に知らせるために軒下に掲げられてあった。残念なことに当時を偲ばせる建物は昭和57年3月に解体されたが、看板は水と歴史の館に寄託され保管している。
 浪花講については、文化元年(1804)大坂の商人松屋甚四郎の提唱した旅館粛正運動で、旅行者に鑑札を渡し、諸街道の加入優良宿屋に宿泊する仕組みである。
 真誠講については、丸通の商標のある看板で、明治4年(1871)交通運輸事業が民間に切り替わり内国通運会社が設立され、貨物継立所の無い地域には、旅館を選び兼務させたものである。
 2枚の看板とも往時の七ケ宿街道を偲ばせる貴重な民俗文化財であり、特にこのように残っているものは県内でも他に例がない。
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